株式会社小浜マリーナ
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かあちゃんのひとりごと

十月も後いちにち

2020年10月30日

暖房が要るようになってきました

足元が冷たくて先日からふにゃふにゃの電気アンカをして

寝ています。薄くて軟らかいアンカで友人も

あんたに教えてもろた奴を買いに行って使っとるけどアレ

ええなあ、と言っていた。ウチは言うたんかいな

誰に言うたか そんなもん覚えてはおらんわ

去年かおととしの話しやろに、確かに足元が軟らかくてイイ

ベビー毛布を巻いておくと ほこほこです。

こんなアンカは今でも売っているんやろか??

極寒になってきたら電気毛布が要ります 今のところは

これで充分ですが 段々と朝が起きにくくなってきますね

長男が福井医大へ入院して早や一週間が経つ

26日に手術して二日目に

どんな具合か?と電話したら まぁ こんなもん・・という

ような事で ちっと痛いけど歩いていると言っていた

そら皮膚を切るんやから痛いはずやわ

2~3日の内に退院だと思う・・とブログを打っていたら

 明日退院する、とラインが来ました。

毎朝走ってバーベルあげて鍛えていたから体力はマアマア

です。 さあ一人が居なくて楽していたけど 又仕事が

増えますわ 大きな子どもが帰って来るとなるとぉ~。

秋の味覚・・茄子

2020年10月26日

お向かいの洋子ちゃんから畑で茄子を頂きました。

洋子ちゃん宅の畑はウチのすぐ横です

 

 

頂いた茄子を夜なべに湯搔いています

夜なべって知らない人いますか?いませんよね

夜ご飯も終わって その後の仕事です。

 

軟らかくなった茄子の皮を優しく手でむきました

出汁つゆと擂りごまで味をつけて一晩おいておいて

頂こうと思います。 朝ご飯にです。

おいしいですわな

2020年10月25日

外で用事をしていたら もう昼頃になってしまい

祥希が ご飯を・・なんとかと言っているので何かをせな

・・と思いながら台所へ行ったらテーブルに美味しそうな

物が置いてありました。

これはなに? 天津飯やって へぇ~作ってくれたんや

それでご飯を食べよ、冷めないうちに という事だった

のです。はーぃいただきます お~っ美味しい凄く。

このオムライスは長男が入院する前に作ってくれたモノです

画像感よりも玉子はしっとりふんわりしていました。

「かあちゃんの炊くご飯はいつもやわらかい」と言いご飯は

かまどやの弁当を買いそのご飯を 使ったそうです

白ご飯の硬いのはウチはあまり好きではないので炒めるには

好ましくないようです。なんでもエエ 作ってくれたら

有り難いよ 何十年も作るのはもう飽きました。飽いたよ。

 

福井医大での説明

2020年10月24日

医大病院へ着いて玄関で手をかざすと 消毒液がでて来る

そこには「一度で充分手に広がります」と書いてあります

6階の北へ・・とエレベーターに乗った。エレベーターを

下りて6階でも北と南に左右に分かれており

インターホンを押したら ご用件はと聞こえてきたので

「森松勝利の説明を聞きにきました」そしたら北の病棟の

仕切りが開きました。コロナ対策があちこちと。

笑顔の看護師さんが こちらですと案内をしてくれて

入った部屋には担当のお医者さんと本人が話を始めかけて

いるところでした。優しそうな先生でした。

以前の骨盤専門の杉本先生は他の病院へ代わったという事

でしたが 前の手術の時には僕も一緒でした。

僕は背骨専門です。とおっしゃった・・背骨から骨盤への

固定してある金属を今回は抜く手術で こういうモノで

止めてあると、ネジクギのようなものを見せてくれ

ました。これはチタンで出来ていて重さが何グラムで

とか・・。写真を見ながらの説明で入っているボルトは

長いのや短いのや10本以上ありました。

手術のあくる日には歩けますと言ってくれました。

私がいちばん聞きたいのは当日は来なくてもいいですか

・・と云う事です

普通は手術の日には大体は家族が来るようですが

「連絡がとれるようにしておいてもらったら良いでしょ」

ということになりました。

 

 

 

長男が福井医大へ入院

2020年10月23日

去年の2月7日志賀高原へスキーに行って転落し

ドクターヘリーで松代総合病院へ運ばれ10日間

その後 救急サービス車(患者等輸送車両)で

福井医大病院へ怪我から一カ月の3月6日に手術

骨盤骨折、肋骨骨折、何やら骨折とギョウサンの

骨折で福井医大に骨盤の名医がおられると云う

ことで福井医大へ代わったのです

長野の松代総合病院も遠いところで手術するより

福井県でした方が何かと便利だ・・との事でした。

あれから腰などに何本もボルトが入ったまま

生活、仕事 最近は毎朝走って来てバーベル揚げ

・・まぁおとろしゃ・・というところです

そしてボルトを抜く手術の日がやってきました

怪我から1年8ヶ月余りです

きのう長男は一人で福井医大へ行き入院

今回はひとりで行き退院してひとりで帰って来る

・・・と思っていた処 手術の説明を家族の者に

聞いて貰わないといけないそうだと連絡が来た。

全身麻酔の時はは家族に説明があるそうです。

それで きのう也寸志に相談したところ快く

医大まで送ってくれるということになりました。

今朝

祥希が「南条のトンネル出た所は気を付けんと

あそこは事故多発場所だと私に言に来ました。

「あ~そううけ、也寸志に言っておくわ」

也寸志も何度もそこは通っているだろうけど

祥希は

一応は道中を心配してくれているんだな。と

有り難く思いました。

じいさんに訳を話して也寸志に送ってもろて

福井医大へ行って来る旨を言ったら

「ほうか~」だった。

 

 

 

釣果は・・

2020年10月21日

これまでは孫ボン 又はボンと記していましたが

勤めていた薬品会社を辞め先日からマリーナの仕事をさせて

もらうことになりましたので これからは祥希(しょうき)

と 書くことにします 船舶免許もとらせてもらい

一昨日は陶山さんと暢ちゃんと三人で釣りに行きました。

釣果は 小アジ一匹 それも祥希だけが釣れたそうで

そのアジを一応三枚におろし 嵩を上げるためにフライに

しました。 半ぺらずつでアジフライが二個できあがり

一個ずつ食べました

次の日は火曜日定休日で暢ちゃんと釣りにくと云うことで

前日からおにぎりを頼まれていました。

それから何時間経ったか午後。。。。。。帰ってきました

結果は早口言葉の・・〇〇が屏風に上手に絵を描いた・・

○○でありました。

 

秋晴れのいちにち

2020年10月20日

きょうは素晴らしい秋晴れの一日でした。

この画像・・紅葉なんですが これは春に紅く綺麗になる

今はご覧のとおり緑の色もなんだか枯れている変な色です

髪の毛の染めぞこないのようなモシャモシャです

それはさておき 今日は本当に良い天気でしたが

タマにこんだけ天気が良いと忙しいのです あれもこれも

干したくなり  夏布団やら色々干したりした後が

取り入れるのに どーっと疲れてしまいます。

さすがに 庭の木の切れ端は 捨てに行くことが出来ない

今年中に・・と考えてゆっくりとしましよ。

昨日はインフルエンザの予防接種をしに来てくれました。

インフルエンザの注射は痛いのです

痛い薬が入っているらしい 今日になったら

注射の打った所が少し膨らんでカユミが少々ですが

これは普通なんです

じいさんは 「あれはコロナの注射やったんかか?」やて

それがあれば言うことなしやわ 世界中の人が望んでいる

ワクチンですから「あれはインフルエンザや」「ほうか」

・・・楽なもんやな じいさんは・・・

 

庭・・・

2020年10月15日

晴れで庭の木を切って切って切りまくり籠に入れました

その前に

長男に伸びている枝を切ってもええわなあ」と言ったら

「俺はなんにも庭には興味も何んにもないし思ったように

したらエエやんか」と言うことで そうかぁ、庭など

なくても 何が生えていようと どうでもイイらしい

・・なら、庭木は一本も無くてもエエと言う事なんや

庭木に執念があるじいさんも

ウチが枝や葉っぱを切っていても 見には来ないので

ここぞとばかりに 大部 枝を切ったのです。

風を除けるほどの木でもなし ボンボラさんになっても

いいので 実は長男に言う前から少しずつ切っていました

軽トラで山へも何回か持って行き きのう今日も

鋸でゴシゴシ 高枝鋏でパチンパチンとやっていても

じいさんは気が付きません たとえ気が付いていても

意見を言うたら最後 この鬼嫁が何の爆弾を落とすか

という事は心得ているのかも知れない。

見て見んふりしているのかもしれません その方が

こっちは助かります。

樹木が道路へはみ出している家があちこちとあります

そんなのが とても嫌なので 切りまくるのです。

今後 誰が家の周りを 世話をする?

する人が 居ないなら 居なくなること明白です。

ですから少しでも手が掛からないようにして行くのが

私の役目だと思っているのです いずれは木という木は

ウチの庭から無いようになるかもしれません。

それでも良いのです ウチは。

 

去年2019年10月は

2020年10月10日

去年2019年10月13日は実家の兄の三回忌だった

12日は台風19号が関東直撃したのでしたね 町田市に

いる姪っ子が来れるか心配していた処 台風前の11日に

来たので良かった・・丁度1年前になります

それから11月12月と日が経ち年が明けて なんやかや

している間にコロナが始まり今だに終息が見えないのです

百年前のスペイン風邪は終息まで2年かかったそうです

8分程で行ける実家も兄の三回忌以来 行っておりません

きのう義姉から電話があり「な~んにも用はないんや・・

けど ちっと寒くなってくると何やら寂しいてな・・」

と電話でどうってことない話をしておりました

(秋深し 隣は何をする人ぞ 松尾芭蕉)

孤独さを表すのに よく引用される言葉だそうです

これは芭蕉 最後の句となったと云うことです。

今年もアネモネがでて来た

2020年10月07日

前日には分からなかったが緑の葉が有ることに気が付いた

砂利ん子の中からチロっと「今年も出て来たよ」・・と

 

次の日には これだけも葉っぱが増えている

京子義母は世話の要らない花を咲かせてくれるように

してくれたのだろうかと思いました。京子義母が逝って

21年になりますが この花が咲くときは尚いっそう

思い出します 困った時があると「それはなぁ、、こうこう

こうで こうや」といつも良い方に教えてくれました。

何一つ 押し付けの事は言わなかった人で そして

子達の事はとても大事にしてくれたなあ、ほ・ん・ま・に

そして子達もばあちゃんの事は頼りにしていたし好きだった。

人徳があったのです それとは反対に私は全然 ダメなほう

です。京子母には もう一度会いたいと心から思います

 

 

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